専攻長メッセージ

地域創生専攻長 南 正昭

“地域創生”に向けて

日本が近代化を進めるに当たって、ここ岩手における国土開発は、厳しい寒冷地としての自然環境と度重なる災害を克服し、生業を築きあげ健康な生活を実現することにほかなりませんでした。

ここ岩手県は、廃藩置県により1872年に成立し、昨年、150年目の誕生日を迎えました。1902年、岩手大学は当初盛岡高等農林学校として、北方寒冷地の農業振興や農業技術の革新を主な目的として設置されています。初代校長の玉利喜造(1856~1931年)は、緊急研究課題として、北方寒冷地である東北地方における冷害凶作の克服、および寒冷地に適した農業法の開発を掲げました。

ここに学んだ学生の一人に、宮沢賢治(1896~1933年)がいました。賢治は、明治三陸大津波が来襲した1896年に生まれ、昭和三陸大津波が来襲した1933年にその生涯を閉じています。1923年、今から100年前に関東大震災が発生しています。賢治は、盛岡高等農林学校に学んだ後、多くの文学作品を著すとともに、自ら百姓になって、農業指導を行い、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と農民芸術を実践していきました。

1947年、今から三四半世紀前に、岩手県の初の民選知事となった国分謙吉(1878~1958年)は、若い頃から自ら農場を拓き試験場を創立し、この寒冷な土地の特性に即して研究した独自の農法を開発し、食料増産に向けての道を切り拓いたことで知られています。国分の知事当選の数か月後にはカスリン台風、その翌年1948年にはアイオン台風が来襲しています。ただでは起きませんでした。今はよく知られる岩手でのブドウ栽培、ワイン醸造は、これらの台風による甚大な被災からの復興策として、国分が提案し実現されてきたものです。寒冷地の厳しい自然、度重なる自然災害に遭いながらも、それらを受け止め、また乗り越えるべく、地域創生への取り組みは、これまで幾度となく繰り返されてきました。 今、皆さんの目の前に広がるこの美しい自然景観と街並み、健やかな暮らしの風景は、その営みの上に結晶化したものといえるでしょう。

2011年3月11日、東日本大震災が発生し、沿岸部を中心に大きな津波被害を受け、その後の復興は今も続いています。岩手大学大学院総合科学研究科地域創生専攻は、この未曽有の大災害からの復興の真っ只中、地域の未来の創造に資するべく、2017年4月に設置されました。地域産業の振興、安全安心なまちづくり、人の心身の健康を3本柱とし、新たな地域創生に向けた教育研究が進められています。未来を担う皆さんの積極的な参画を期待しています。